ガラ・ガラーエフ

KARAEV, Kara (1918.2.5-1982.2.11)

ガラ・ガラーエフKaraKaraev(アゼルバイジャン語:Qara Əbülfəz oğlu Qarayev、1918年バクー生まれ、1982年モスクワにて没)は、アゼルバイジャンの芸術音楽を西欧文化全体のなかに統合させた傑出したソヴィエト作曲家である。彼の創作遺産のかなりの部分は概してソヴィエト音楽の展開期として捉えることができる。
この作曲家の音楽言語で特徴的なのは、民族的伝統と西欧的伝統とが互いに豊富である点、つまり民俗的起源と現代的な技法的・様式的傾向が独特に統合されている点であり、これらが作曲家のきわだった個人様式を決定づけている。
ガラ・ガラーエフの創作遺産には、音楽劇場のための作品、交響楽作品、室内楽作品、カンタータ・オラトリオ、声楽作品、さらに演劇舞台のための音楽、芸術映画やドキュメンタリー映画のための音楽がある。
未来の作曲家はアゼルバイジャンの典型的なインテリゲンツィヤ(知識階級)の家庭に生まれた。彼の父親アビュルファズ・ファラジ・オグル・ガラーエフ Əbülfəz Fərəc oğlu Qarayevは医学博士で、この国の小児科学の創始者であり、母ソナ・ハヌム・アフンドヴァ Sona xanım Axundovaは当時、音楽も含む様々な分野で良質な教育を受けることができたごく僅かなアゼルバイジャン人女性のひとりであった。
ガラ・ガラーエフは1935年からバクーで、1938年から1946年にはチャイコフスキー記念モスクワ音楽院で学び、ここで作曲家としての個性の形成に多大な影響を受けたD. D. ショスタコーヴィチのクラスを修了した。
1947年から1982年までガラ・ガラーエフはウゼイル・ハジベヨフ Üzeyir Hacıbəyov記念アゼルバイジャン国立音楽院(訳注:現在のハジベヨフ・バクー音楽アカデミー)で作曲を教えた。この間、40人以上の学生が彼の門下から卒業し、その多くは現在、アゼルバイジャン作曲家として指導的な立場にある。今日でもガラ・ガラーエフの名は傑出した作曲家としてだけでなく、現代作曲家たちからなるアゼルバイジャン楽派の創始者としても知られている。

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